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東京地方裁判所 昭和43年(ワ)13393号 判決 1970年1月21日

原告

宮田富弥

代理人

坂根徳博

被告

有限会社福島発条製作所

被告

大東京火災海上保険株式会社

被告ら代理人

島林樹

(ほか二名)

主文

一  被告有限会社福島発条製作所は原告に対し金四四一万円およびうち金四〇一万円に対する昭和四四年一月一日以降支払済みに至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

二  被告大東京火災海上保険株式会社は原告に対し金四六二万円およびうち金四〇一万円に対する昭和四五年一月二二日以降支払済みに至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ

三  原告のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、これを二分し、その一を被告らの負担とし、その余を原告の負担とする。

五  この判決の第一項は、無担保で、かりに執行することができる。

六  この判決の第二項は、金一五〇万円の担保を供して、かりに執行することができる。

事実

第一  当事者双方の求める裁判

(原告)

「被告らは各自原告に対し八四八万円およびうち七四四万円に対する昭和四四年一月一日以降支払済みに至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ」との判決および仮執行の宣言。

(被告福島発条)

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決。

(被告大東京火災)

本案前の裁判として、「本件訴を却下する、訴訟費用は、原告の負担とする」との判決。

本案の裁判として、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決。

第二  請求の原因

一  (事故の発生)

昭和四二年五月一七日午後四時五〇分ごろ東京都台東区駒形二丁目一番地先路上において、左折しようとした訴外武藤儀勇運転のライトバン(足立四ほ七二〇三号、以下甲車という)と、その左後方から直進して来た原告運転の自動二輪車(足立一い四一一四号、以下乙車という)とが接触し、原告が路上に転倒して傷害を受けた。

二  (責任原因)

(一)  被告福島発条は、甲車を業務用に使用し、自己のために運行の用に供していたのであるから、自賠法第三条により、本件事故によつて原告に生じた損害を賠償する責任がある。

(二)  被告大東京火災は、昭和四一年七月一四日被告福島発条との間で、甲車につき、被保険者を同被告とし、保険金額を二〇〇〇万円とし、保険期間を契約成立後一年間とする自動車対人賠償責任保険契約を締結したのであるから、同被告に対し、同被告が原告に対し右責任を負担することによつて受ける損害を填補する責任がある。原告は、右損害賠償請求権に基づき同被告の被告大東京火災に対する保険金請求権を民法第四二三条により代位行使するものである。

なお、右保険金請求権は、保険事故たる自動車事故の発生と同時に発生し、保険会社が右事故の発生を知つたときに履行期が到来するものと解すべきである。以下その理由を述べる。

1 (法源)本件保険金請求権は、契約上の権利であり、この契約は、自動車保険普通保険約款(以下単に約款という。)に基づいて締結される。したがつて、右請求権の発生時期および履行期は、右約款の解釈によつて決まる。

2 (旧約款)昭和四〇年一〇月の改正までは、保険事故につき、約款の文言は「被保険者ガ法律上ノ損害賠償義務ニ基キ之ヲ賠償シタルトキ」(第一章第二条第二項)となつていた。保険金請求権が発生するためには、被保険者が損害賠償債務を履行することが必要とされていたのである。

3 (現行約款)右改正による現行約款の文書は、保険事故につき、「被保険者か、  法律上の損害賠償責任を負担することによつて被る損害を

てん補する責に任ずる」(第二章第一条)となつた。

4 (文言の解釈)現行約款の文言を保険事故に関して要約すると、「被保険者が法律上の損害賠償責任を負担したとき」になると解する。被保険者に損害賠償債務が発生すれば、保険事故として必要にして十分なものとする趣旨である。

まず、それが日本語の解釈として一番自然な解釈のように思う。損害賠償では、金銭を現実に支出するに至らず、債務を負担したにとどまる場合でも、債務の負担自体を「損害」として扱つており、こうした関係を表現するのに、「弁護士料支払債務を負担することによつて被る損害」というような言葉を使用する。

この用例は、債務の負担自体を損害と考え、債務の発生をもつて損害の発生とする考えを前提としている。そうすると、現行約款の右文言は、おのずから明らかになつてくる。すなわち、「法律上の損害賠償責任を負担すること」というのは、「保険事故の発生」のことにほかならないのである。

5 (要件と効果)責任保険契約は、保険事故の発生による損害の填補を目的とする。このため、保険事故が発生した以上、これによる損害を填補する義務が生じる。これは、不法行為による損害賠償と同じような関係にある。損害賠償においては、不法行為が発生した以上、これによる損害を賠償する義務が生じる。損害が現実の金銭支出であれば、それだけの金銭を支払い、損害が債務の負担であれば、債務どおりの金銭を支払うことになる。旧約款の場合は、損害賠償における損害が現実の金銭支出として発生している場合に相当するし、現行約款の場合は、右損害が債務の負担として発生している場合に相当する。したがつて、保険者としては、被保険者が被害者に損害賠償債務を負担している状態のまま、現実に損害を填補する義務を負う。

6 (公序良俗)約款は、一般に、条項作成者側の都合中心になりやすい。それが過ぎた条項は、作成者側の希望条項にはなれても、効力条項にはなれない場合がある。

まず、裁判や正当な賠償の実現を逃避するような条項、賠償実現の早期促進を妨害するような条項、それに、被害者の犠牲において保険金の出捐を低額にとどめる結果を招来するような条項は、希望条項にはなれても、効力条項にはなれないと思う(約款第三章第一一条、第一三条)。

また、被保険者らに課している遵守事項中、それほど保険会社に実質的な不利益を生じさせないような条項は、希望条項にはなれても、保険金請求権の発生要件になつたり、これを否定するほどの効力条項にはなれないと思う(第三条第一一条、第一四条、第一五条)。

7 (履行期と遅延損害金)保険金支払債務も一種の債務であり、遅延損害金の発生特別の規定があるわけではない。

右債務は、債務の履行につき、「保険事故が発生したとき」という不確定期限がある場合に該当し、保険会社は、保険事故が発生したこと、つまり、加害者が損害賠償債務を負つたことを知つたときから、遅滞の責任を負う(民法第四一二条第二項)。被告大東京火災は、第一審の口頭弁論終結日までにはそのことを知る。

こうして、請求の趣旨にいう・同被告に対する年五分の割合による金員は、右口頭弁論終結日までの分は、保険金債務の内容である・損害賠償債務に対する遅延損害金であり、その後の分は、保険金債務の履行期の翌日以降の分として、右債務に対する遅延損害金であり、保険金額の制約を受けない。

三  (損害)

原告は、本件事故により頭部挫創、右手切断創、両足挫創、左肩甲骨骨折の傷害を受け、昭和四二年五月一七日から同年六月二四日まで田島病院に入院し、退院後同年八月一六日まで同病院に通院した。その結果、身体障害等級六級に該当する右手首切断の後遺障害が残つた。

(一)  治療費    三二万円

(二)  休業損害   七六万円

原告は、城東乳製品有限会社(以下訴外会社という)に勤務する会社員であるが、右治療に伴い、次のような休業を余儀なくされ、差額七六万円(万円未満切捨)の損害を受けた。

(休業期間)昭和四二年五月一八日から昭和四三年一二月三一日まで

(事故時の月収)六万六五〇〇円

(休業中の収入)五〇万円

(三)  逸失利益  五〇二万円

原告は、右後遺症により、次のとおり、将来得べかりし利益を喪失した。その額は五〇二万円(万円未満切捨)と算定される。

(事故時)三九才

(稼働可能年数)昭和四四年一月一日から一八年間

(労働能力喪失の継続期間)一八年間

(収益)前記のとおり(年額七九万八〇〇〇円)

(労働能力喪失率)五〇パーセント

(四)  慰藉料   二八〇万円

(五)  損害の填補 一四六万円

原告は、強制保険金一四六万円を受領し、これを右列挙の損害額に充当した。

(六)  弁護士費用 一〇四万円

以上により、原告は七四四万円を被告福島発条に請求しうるものであるところ、同被告がその任意の弁済に応じないので、弁護士たる本件原告訴訟代理人にその取立を委任し、東京弁護士会所定の報酬範囲内で、第一審判決言渡の日に一〇四万円の報酬を支払うことを約した。

四  (被告福島発条の無資力)

自動車事故の被害者が加害者の保険金請求権を代位行使しうるためには加害者が無資力であることを要するかどうかについて、原告は、これを要しないと解する。けだし、無資力を要件とする見解は、その前提として、債権者代位権の制度は金銭債権の履行を確保するため債務者の一般財産の減少を防止することを目的とするものである。と見るのであるが、民法第四二三条は、「債権を保全する為め」といつているのであつて、これを金銭債権に限る趣旨でないことは、同条が同法第二節「債権ノ効力」として債権一般に関するものとして規定されていることからも明らかであり、要するに、債権者代位権は「債権の実現」を確保するための制度であり、その要件は代位債権の行使が保全債権の実現に役立つ関係にあれば必要にして十分なのであつて、債務者の無資力を要件とすることは、民法の文言のみならず債権者代位権の立法目的にも反するからである。

かりに、これを要するとした場合、この点の証明責任は被告側にあり、被告側において債務者に資力のあることを主張立証しなければならないものと解すべきであるが、原告は、念のために、被告福島発条が資本金三〇万円の有限会社に過ぎず、原告の損害を一時に支払うほどの資力のないことを主張する。

五(結論)

よつて、原告は、被告福島発条に対し八四八万円およびうち弁護士費用を控除した七四四万円に対する逸失利益算定の基準日である昭和四四年一月一日以降支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、被告大東京火災に対し本件口頭弁論終結の日である昭和四四年九月一七日現在の・被告福島発条が原告に対して賠償すべき損害額相当の保険金(八四八万円および七四四万円に対する昭和四四年一月一日から同年九月一七日までの年五分の割合による金員の合計額)およびうち七四四万円に対する翌一八日以降支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三  被告福島発条の事実主張

一  (請求原因に対する認否)

第一項および第二項の(一)記載の事実は認める。

第三項記載の事実中、原告に右手首切断の後遺障害が残つたこと、および原告が強制保険金一四六万円を受領したことは認めるが、その余は不知。なお、原告は右後遺症により労働能力を五〇パーセント喪失したと主張するけれども、原告の勤務する訴外会社は原告の父親が経営する個人会社であり、長男たる原告が将来その社長になるというのであるから、原告の実収入は本件事故の前後を通じて変りなく、右後遺症による逸失利益はないものというべきである。

二  (事故態様に関する主張)

本件事故は、訴外武藤が、左折の合図をし、道路の左端から1.5メートル地点で一旦停止した後、バックミラーにより後方の安全を確認して、時速二〜三キロメートルで左折を開始したところ、バックミラーの死角内を追従していた原告が、甲車の右動静に注意を払わず漫然と直進を続けたために発生したもので、訴外武藤としては、左折にあたり要求される注意義務を十分尽していたのであり、乙車を発見できなかつたといつて、バックミラーに後続車が映らなければ安全に左折できるものと判断するのは条理上当然であるから、これをもつて同訴外人の過失とみることはできない。

三  (抗弁)

(一)  (免責)

右のとおりであつて、訴外武藤には運転上の過失はなく、事故発生はひとえに明記のような原告の過失によるものである。また、被告福島発条には運行供用者としての過失はなかつたし、甲車には構造の缺陥も機能の障害もなかつたのであるから、同被告は自賠法第三条但書により免責される。

(二)  過失相殺

かりに然らずとするも、事故発生については原告の右過失も寄与しているのであるから、賠償額算定につき、これを斟酌すべきである。

第四  被告大東京火災の主張

一  (本案前の抗弁)

原告は、被告福島発条に対し本件事故による損害賠償の請求をすると同時に、これに併合して、右請求権に基づき同被告が被告大東京火災に対して有する保険金請求権を民法第四二三条により裁判上代位行使するというのである。しかし、被告福島発条の原告に対する損害賠償債務と同被告に対する被告大東京火災の保険金支払債務との間には連帯債務関係はもとより、不真正連帯債務関係もないのであるから、原告の本訴請求は、実質的には「被告らのうちいずれか一方が支払え」という主観的択一訴訟であり、かかる形態の訴は、被告が特定していない不適法な訴であるといわなければならない。したがつて、いずれか一方の訴は却下さるべきであり、本件の場合、原告の被告福島発条に対する請求権の行使は何等障害がないのであるから、被告大東京火災に対する訴は却下を免れない。

二  (保険金請求権の代位行使について)

原告の被告大東京火災に対する請求は、次の理由により、失当である。

(一)  保険金請求権の発生時期

1 原告の主張する債権者代位権によつて保全されるべき保険金請求権は、もとより加害者(被保険者)と保険会社との間における自動車保険普通保険約款による保険契約に基礎づけられている。

しかして、一般に損害保険契約は、被保険者の蒙る不慮の経済的負担を填補する目的から制度化されているのであつて、被害者の救済が保険契約の第一義的な目的ではない。その意味で保険金請求権は、保険事故を媒介として保険契約当事者間の約款によつて、独自に定まるものであつて、被害者の加害者に対する不法行為の損害賠償請求権と同一の次元で論じられるものではなく、その発生の原因、時期についても別異に考察されなければならない。

結論から述べると、被保険者の有する保険金請求権は、具体的には確定判決、和解または示談によつて損害賠償額が確定すると同時に発生するものであり、それ以前になされた本件代位行使は、その基礎たる保全さるべき権利が発生していないから失当である。以下その理由を述べる。

2 保険金請求権が具体的にいつ発生するかは、不法行為に基づく損害賠償請求権の発生時期とは別個に商法法規または約款の解釈によつて決定されなければならない。原告は、保険事故たる自動車事故の発生と同時に保険金請求権が発生し、保険会社が右事故の発生を知つたときに履行期が到来する、と主張する。

3 しかしながら、第一に、いかなる債務であつても、債務者がその債務を履行しうるためには、それが履行できる状態になつていなければならない。金銭債権の場合にあつては、その数額が確定しない限り、債務者には履行の方法がないのであつて、保険金請求権についていえば自動車事故が発生したというだけでは、損害賠償額は確定しないのであるから、保険会社が被保険者にいくらの保険金を支払つていいのか判らない段階で、請求権が発生すると解するのは明らかに失当である。

4 第二に、損害賠償請求権と保険金請求権の問題がある。保険金請求権の消滅時効は二年である(商法第六六三条)。他方、損害賠償請求権の消滅時効は「損害及ヒ加害者ヲ知リタルトキヨリ三年間」と規定されている(民法第七二四条)。

そこで、かりに原告の主張するごとく保険金請求権の発生時期を損害賠償請求権のそれと同一に解するとすれば、被害者が自動車事故の発生後二年経過したのちに被保険者に損害賠償請求をしてきた場合、または被保険者が被害者との間で賠償額の存否を二年以上争つた場合、被保険者は保険会社に対する保険金請求権を時効により消滅せしめる結果となり、被保険者の賠償すべき額が確定したとき、被保険者はもはや保険会社に対し自己の受けた損害の填補を請求しえなくなり、結局損害(責任)保険制度の趣旨にも反する不合理な結果となろう。

このことは、かりに原告が主張するように保険金請求権の履行期を保険会社が自動車事故の発生を知つたときとし、これが消滅時効の起算点であるとしても、格別消長をきたさない。けだし、実際上、約款第三章第一一条第一項第二号によつて、被保険者は、保険会社に対し事故の発生したことを遅滞なく通知しており、通常、事故の発生と保険会社がそのことを知るまでの間にはそれほど時間的隔りがないからである。

5 第三に、現行約款の制定の趣旨および約款の各条項との関係からも、保険金請求権の発生時期は、賠償額の確定が前提とされていることは明らかである。

現行約款は、昭和四〇年一〇月に旧約款が改正されたものであるが、これは、旧約款が被保険者の支払を損害填補の要件としていたことから、被保険者に立替える資力がない場合などに、加害者たる被保険者と被害者とが通謀して虚偽の領収証および履行の証票を提出するという実務上の弊害があつたため、支払を要件とする旧約款の手法を「法律上損害賠償責任を負担する」(現行約款第二章第一条)という債務の負担にあらためることにより、右弊害を解決し、支払の便宜化を計つたもので、運営上賠償額の確定が保険金請求権発生の前提とされていることは、改正の前後を通じて何ら変りがないのである。

以上のように、現行約款第二章第一条の解釈が、本来被保険者に対する賠償額の確定によつて保険金請求権を発生せしめる趣旨であることは、同約款の他の条項によつてさらに裏付けられている。

(1) 約款第二章第一条第二項によれば、「自動車が自動車損害賠償保障法に基づく責任保険(    )の契約を締結すべき自動車である場合の、前項第一号の事由による損害については、当会社は、その損害の額が同法に基づき支払われる金額(    )を超過する場合に限り、その超過額をてん補する責に任ずる」と定められ、任意保険の保険金請求権が強制賠償保険の上積みという性格をもつていることを示し、それ故に強制賠償保険の填補さるべき範囲が確定しなければ、任意保険の保険金請求権を行使せしめないことになつている。このことは、死亡、傷害の最高限度額のように一律に支払われる場合のみならず、後遺症のように段階的にその填補額を格付けしている場合に一層顕著に賠償額の確定を前提とすることが必要であろう。

(2) また、約款第三章第一四条第一項は、被保険者の保険金請求権の行使について、「事故発生の日から六〇日以内または当会社が書面で承諾した猶予期間内に保険金請求書・損害額を証明すべき書類……を保険証券に添えて、当会社に提出しなければならない」と規定し、損害が数額として確定していることを当然に予定し、他方、約款第三章第一五条は、この規定をうけて、「当会社は、前条の書類または証拠を受領した日から三〇日以内に保険金を支払う。」と定め、確定した賠償額を記載した第一四条の書類および証拠を受領すると同時に保険金請求権の支払義務が発生する旨を約定している。

(3) これに加えて、自動車損害賠償責任保険普通保険約款第一四条が、「被保険者が保険契約に基づいて損害のてん補を受けようとするときは、被保険者と被害者との間に……損害の額の確定した日から三〇日以内……に……書類を添えて、これを当会社に提出しなければならない。」として、損害額の確定を自賠責保険の請求の前提要件としていることも十分被告保険会社の主張を理由あらしめるものということができる。

(4) その他、約款第三章第一一条第一項第一号の損害防止軽減義務、同項第二号の事故発生の通知義務、同項第四号の損害調査協力義務などの各条項を総合して判断すると、保険金請求権は自動車事故の発生と同時に具体化されるものではないことが十分明確になつている。

6 第四に、以上のことは単に約款の文理解釈からいえるだけではない。加害者と被害者との律法関係を規制する損害賠償請求権は、加害者たる被保険者と保険会社との法律関係を規制する損害保険契約とは本質的な相違があるのであるから、保険金請求権の発生時期に関する解釈の基準は、被害者保護の立場から定められるのではなく、被保険者と保険会社の法律関係(保険契約)の側面において独立に解釈されるべきものである。

すなわち、一般に、損害保険契約は偶然な事故によつて生ずる損害の填補を目的とする有償契約であり、保険制度の目的は保険事故発生の危険におびやかされる経済生活の不安に備える事前的・一般的配慮たる点にあるのであつて、保険事故の発生によつてなされる具体的給付如何の問題は、右の本質的目的の実現のための・いわば第二次的な手段ないし方法の問題にすぎないといわれている。

それ故、保険会社の損害填補義務は、その義務の内容が「損害の填補」にあるという意味で、不法行為者や債務不履行者の負う損害賠償義務と現象的には同じような性質を有するように見えるが、本質的には異質のものであることに留意されなければならない。有力な学説上も『不法行為や債務不履行による損害賠償債務は、生じた損害の填補そのことを本質的内容とする義務であるのに対し、保険者の「損害填補」義務は、前述のように保険制度の本質的目的たる危険負担の実現方法としてなされる金銭的給付約束にもとづく金銭支払義務であり、ただその範囲が、原則として、生じた損害額の填補に必要な額に限定されるにすぎない、と見るべきである。不法行為や債務不履行による損害賠償義務は、その性質上、これによつて生じたすべての損害の全額におよび、かつこれに限られるのは当然であるが、保険者の損害填補義務にあつては事情は必ずしも同様でない。たとえば、保険者は必ずしも保険事故によつて生じた一切の損害を填補する義務を負うものでなく、保険事故によつて法定または約定の種類の損害を生じた場合に限り保険金支払の義務を負う。また、保険者は必ずしも保険事故によつて生じた損害額の全額を支払う義務を負うものでなく、その支払うべき保険金の額は、加入者の支払う保険料の多少に応じ、あるいは損害額の全部におよぶこともあるが、その一部にとどまることもある。また場合によつては逆に、保険者は保険事故によつて生じた実損害の額を超える保険金を支払う義務を負う場合もみとめられる。これらの事実にかんがみるときは、不法行為や債務不履行による損害賠償義務と保険契約による損害填補義務とを内容的に同性質のものとみることは、必ずしも適当でないと考える。」(大森忠夫著「保険法」法律学全集五七〜五八頁)と説かれている。

してみると、保険金請求権の具体的な発生時期についても、保険事故の発生と同時に加者害と被害者との法律関係に平行移動するように定められるのではなく、保険制度の本質に照らして、別個に規制されるのであつて、保険者が被保険者に填補すべき賠償額が確定しなければ保険金請求権が発生しないとする解釈は何等不当でなく、むしろ前記(一)の3の理由と併せ考えると、このように解することの方が合理的である。

7 第五として、これをさらに保険契約の経済的側面から考慮すると、保険料の算定基準は、本来、大数の法則を応用した確率計算を基礎として算定されているところ、この算定にあたつて、保険会社が直接に訴訟当事者となることは予想されておらず、したがつて、その争訴関係費用を算定基礎額に包含していないのが実情である。そこで、かりに、原告主張のように保険金請求権が被害者から保険会社に対し直接または間接に行使され、賠償額の当否が実質上保険会社と被害者との間において決定されることとなつた場合には、当然、保険料自体が高額化されなければならない。このような事情もまた、現行約款第二章第一条の解釈にあたつて、立法当初の趣旨を説明する資料として考慮されるべきものである。

(三)  保険金請求権の履行期と代位行使

1 かりに、保険金請求権は、自動車事故の発生と同時に発生すると解釈したとしても、本件における保険金請求権の履行期はまた到来していないから、原告の請求は理由がない。

すなわち、保険金請求権が発生したとしても、前述のように、保険会社は、加害者と被害者との間において確定判決、和解ならびに示談によつて賠償額が確定しない限り、保険会社がこれを填補すべき対象が定まらないからである。債務が確定していないのに履行期だけが到来するのは矛盾である。約款第三章第一五条によると、「当会社は、前条の書類または証拠を受領した日から三〇日以内に保険金を支払う」と定め、賠償額が確定したのちに履行期が到来する趣旨を約款上明記している。

2 この点については、生命保険金請求権の消滅時効の起算点に関し、大審院大正一四年二月一九日判決(新聞二三七六号一九頁)が「被上告会社ノ本件保険金支払ノ債務ハ是レ亦上告人ガ提出シタル同条所定ノ書類ガ被上告会社本店ニ到達シタル以後二〇日ヲ経過シタルトキ茲ニ始メテ履行期到来シ従テ上告人ノ保険金支払請求権ハ此ノ時ヨリ商法第四七〇条(現行商法第六六三条)所定ノ二年ノ時効ニ罹ルモノト謂ハサルヘカラス」と判示しており、現行商法第六六三条の規定は、同法第六八三条により生命保険にも準用されているのであるから、この大審院の判断は、損害保険たる本件保険金請求権の履行期についても同様なものといわなければならない。

したがつて、保険金請求権は、約款第三章第一五条により、賠償額が確定し、支払請求書が受理されたのち、三〇日後に履行期が到来するものであるところ、本件の場合、また賠償額が確定せず、支払請求書も受理されていないから、履行期は到来していないというべきである。

3 また、保険金支払実務の慣行も示談または確定判決などによつて賠償額が確定したのち、右証拠書類に基づいて保険金の支払を履践している。

4 してみると、原告の被告大東京火災に対する訴は、保険金請求権の期限が未到来であることによつて将来の給付の訴たる性格を有し、「予メ其ノ請求ヲ為ス必要アル場合」(民訴法第二二六条)に限つて許されるものであるところ履同被告が賠償額の確定後、任意に支払わないという事情は全く見られない。この点からみても、原告の同被告に対する債権者代位権の行使は理由がない。

(二)  債権者代位権の発生および行使の要件をめぐる問題

1 かりに、前述した同被告の主張がすべて理由がなく本件保険金請求権が発生し、かつ履行期が到来しているとしても、債権者代位権における①債権者が自己の債権を保全する必要があることおよび①債務者が自らその権利を行使しないことの二つの要件をいずれも欠如するから、原告の同被告に対する請求は失当である。

2 すなわち、原告は、債務者の無資力を要件とする説が文理にも立法目的にも反すると主張し、予備的に、無資力の要件が相手方の証明責任に属すると主張するが、最高裁判例(昭和四〇年一〇月一二日民集第一九巻七号一七七七頁)は、金銭債権について債務者の無資力を要件とし、かつ、その証明責任が債権者に属することを明らかにしており、通説も、債権者代位権制度の沿革および責任財産保全という制度の目的から、無資力要件を認めているのであつて、原告の右主張は、独自の議論といわなければならない。

3 ところで、被告福島発条は、従業員三五名を有し、各種スプリングの製造販売をなす会社であるが、その取引高は現在日商約二〇〇〇万円に達する。しかも、工場一棟および倉庫一棟を所有し、その資産状態も安定しているのであつて、到底無資力の状態とはいえない。

4 しかして、同被告は、本件事故発生後間もなく、被告大東京火災に対し、約款第三章第一一条第二号に基づき、事故発生の日時・場所、事故の状況、損害の程度ならびに被害者の住所・氏名を通知した。右通知は約款に基づく被保険者の義務であるが、これに違反した場合には、保険会社は填補責任を負わない(約款第三章第一一条二項)。したがつて、右通知行為は、少なくとも被保険者の保険金請求権行使の意思表示としてなされたものであること明らかである。その意味で、債務者が自らの権利を行使しているに拘らず、債権者たる原告の代位を許すことは、債務者に対する不当な干渉であり、代位請求の行使は認められない。

三  (請求原因に対する認否、事事態様に関する主張および抗弁)

請求原因第二項の(二)記載の保険契約が成立したことを認め、第四項に対しては前記のように主張するほかは、すべて被告福島発条のそれと同一であるから、これを援用する。

第五  抗弁事実に対する原告の認否

被告福島発条および訴外武藤の無過失ならびに原告の過失の点は否認する。甲車の瑕疵の点は知らない。

第五  証拠関係<略>

理由

一(保険金請求権の代位行使について)

本件は、自動車事故の被害者たる原告が、加害者たる被告福島発条に対し自賠法第三条に基づく損害賠償の請求をすると同時に、これに併合して、右請求権に基づき同被告が被保険者として被告大東京火災に対して有する自動車対人賠償責任保険契約上の保険金請求権を民法第四二三条により代位行使する訴を提起したものであるが、同被告は、後者の訴の適法性を争うほか、保険金請求権の代位行使に関する実体法上の問題についても、詳細な主張を展開しているので、まず、これらの点について当裁判所の見解を明らかにする。

(一)  本件保険契約は、自動車保険普通保険約款(以下現行約款という)第二章および第三章の各条項を主たる内容とし、自動車に関する事故によつて被保険者たる被告福島発条が「法律上の損害賠償責任を負担することによつて被る損害」(第二章第一条)を保険者たる大東京火災が填補することを目的とする責任保険契約(いわゆる任意保険)である。したがつて、自動車事故の被害者が右契約に基づく保険金請求権を代位行使することの適否ないし要件を考える場合、右契約の責任保険たる法律上の性格を無視することはできない。

(二)  ところで、責任保険は、損害保険の一種であるから、保険事故が発生し、被保険者に保険損害の生ずることが保険金請求権行使のために必要なわけであるが、同じ損害保険のなかにあつても、責任保険は、保険損害の概念において他の損害保険とは趣を異にする面がある。後者においては、保険事故の原因たるべき事故によつて被保険者に生じた損害は、そのまま保険者に対して填補を要求しうる損害なのであり、両者間に査定の問題を残すに過ぎない。ところが、前者にあつては、保険事故の原因たるべき事故によつてまず損害を生ずるのは保険契約当事者外の第三者たる被害者の身上なのであり、これに対する賠償責任の存否および程度の判断を経由した後はじめて被保険者の損害を観念しうる。すなわち、責任保険においては、被害者と加害者との間の関係(以下、責任関係という。)と加害者たる被保険者と保険者との間の関係(以下、保険関係という。)との二段構えがあり、その前者において定められる賠償責任額が後者における保険金支払額の基準となる関係にある(保険金額の枠があり、また保険関係における独自の抗弁もありうるので、両金額はもとより当然に一致するわけではないが、保険金支払額は責任関係における確定額を前提とし、これを超える必要がないという意味では、基準性と云々しうる。)。

のみならず、責任関係における賠償責任額の確定自体にも問題がある。すなわち、賠償責任の存否および程度の判断は、契約関係に基づく金銭債務の場合と異なり、責任の存在そのものには別段争いのない場合であつても、その程度については争いが残るのが通常であつて、損害額の算定や過失相殺の判断などを経てはじめて具体的な賠償責任額が確定されるのである。人身事故による損害賠償責任は、人身死傷の結果を生じると同時に発生し即時履行期に達するのであるから、賠償されるべき額は、確定されたあとから見れば、死傷事故発生の当初から一定額として存在したように観念されるのであるが、実際上は、示談で終るにせよ裁判にまで訴えるにせよ、右確定手続をまつてはじめて、すなわち抽象的に賠償責任が発生したとされる事故時よりも後の時点において、具体化するのである。

(三)  右のように、責任関係と保険関係とが二段構えになつているうえ、責任関係における賠償責任の発生および賠償額の確定も二つの時点に跨がることになるので、一口に「法律上の損害賠償責任を負担することによつて被る損害の填補」とか「保険事故が発生し被保険者に保険損害が生じること」とかいつても、事実上それが何を意味するのか明確でない場合が少なくない。そこで、責任保険においては、保険金請求権行使の具体的な前提条件を約款で規定するのが通例である。例えば、自賠責保険は、責任関係における賠償額確定の手続とは無関係に、被害者が保険者に損害填補を要求することを認め、いわゆる直接請求権を規定する一方、被保険者たる加害者からの保険者に対する保険金請求については、その前提として、被保険者が責任関係における確定賠償額を被害者に支払うことを要求し、いわゆる先履行主義をとつているのである。ところが、任意保険の現行約款にはこの点に関する特約条項はなく、すべてが前記第二章第一条の文言の解釈にかかるのであつて、本件の争いは、結局この現行約款の不備に由来する。したがつて、問題は、責任保険契約において、保険金請求権行使の前提条件につき特約がない場合、いかなる事実をもつて右前提条件と解するのが責任保険の本質上合理的であるかということに帰する。

(四)  当裁判所は、被害者と加害者との間で賠償額の確定されることが保険金請求権行使の前提条件になると解するのであるが、その理由は次のとおりである。

1  現行約款は、昭和四〇年八月以降損害保険各社共通に使用されているのであるが、それ以前昭和二二年来の旧統一約款では、被保険者が被害者に対し「法律上の損害賠償債務……を賠償したるとき」に保険金請求権を行使しうるのを原則としていた。すなわち、旧約款の下では、先に例示した自賠費責保険の場合と同様、いわゆる先履行主義がとられていたのであり、そして、責任の履行を条件とすることは加害者が無資力の場合被害者の保護に欠けるとして、この条件を撤廃したのが現行約款なのであるが、その際、現行約款が保険金請求権行使の前提条件について特に規定を設けなかつたのは、右前提条を弁済の前段階である賠償額の確定にまで緩和する趣旨であつたと見るべきではなかろうか。けだし、先履行主義の弊害を是正するためには、それで足りるのでなし、もし、右前提条件を賠償額の算定のさらに前段階――あるいは被害者が加害者たる被保険者に対し損害賠償の請求をしたこと、あるいは保険事故の原因たるべき自動車事故が発生したこと――にまで一挙にさかのぼらせる趣旨であれば、その旨の特約条項を設けたはずと考えられるからである。

現に、責任関係における賠償額の確定を保険金支払に先行させる取扱いないし解釈は、保険会社の実務において商慣習化しており、このことは、約款の解釈上無視すべきではないのみならず、現行約款がその文辞の不備にもかかわらず、責任関係当事者間における示談成立への承諾という旧約款以来の条項を温存し、また、被保険者に右当事者間の訴訟の通知義務を課する条項を新設したこととあいまつて、右約款の改正が先履行の要件を撒廃したに過ぎず、賠償額の確定手続の先行までも不要とみた趣旨ではない、との右解釈を支持するものといわなければならない。

2  右の事情もさることながら、なお根本的なことは、もし、この前提条件を不要と解すると、それは、責任関係における確定手続とは別個独立に、保険関係の二当事者間で賠償額具体化のための手続を行なうことの是認に導かざるを得ないということである。賠償責任保険という制度の本質上、先に述べた責任関係の判断の基準性すなわち、保険関係の権利義務が責任関係における権利義務を論理的前提とするものであることは認めざるを得ないのであるが、右のような事態は、この本質的要請に離反する側面があるといわなければならない。けだし、客観的に定まつているはずの賠償責任額も実際には確定手続をまつてはじめて具体化されるのであることは先に述べたとおりであるので、この具体化の手続が保険関係において行われるということは、本来責任関係で行わるべき具体化の手続が保険関係でも行われるということであり、二重の手間という点で無駄であるのみならず、両者が一致した金額に辿りつく制度的保障は、後記の併合訴訟の場合を除き、何もないわけであるから、それが相互に齟齬した場合の混乱を覚悟しなければならない。その結果、被保険者の期待が裏切られるような事態が多発すると、それは、単に個人的利害の問題にとどまらず、任意保険たる自動車対人賠償保険責任制度そのものの健全な発展を阻害することにもなるであろう。

もつとも、自賠責保険のように被害者に直接請求権を認める制度でも、この意味の無駄と混乱とは避けえないものがあるが、その場合には、被害者の迅速な救済という別の理念からする利益がその不利益を補つて余りあるのに反し、任意保険の被保険者の保険金請求権の行使のためには、そうまでして不利益を忍ぶ必要はない。無駄と混乱をさけて一度だけ具体化の手続を行なうとすれば、制度の本質上、責任関係における当事者間の手続においてなさしめるのが至当であろう。

3  また、もし、人身事故の発生と同時に保険金請求権を行使しうるものとすると、この権利は商法第六六三条により事故後二年で短期時効により消滅することとなるので、旧約款当時は賠償額弁済時を起算点としていたこと、また、自賠法上も第一五条による被保険者の保険金請求権の時効は被害者への支払時を起算点とするのに反し、同法第一六条の直接請求権が事故時を起算点としていることとの権衡を失するとの観がある。

4  さらに責任関係における確定をまたずに、人身事故の発生と同時に保険金請求権が行使可能となつているとすると、被害者以外の債権者も、事故を知れば直ちに保険金請求権を代位行使しうることになり、被害者にとつて不利な、責任保険の性格上歓迎し難い事態を招き易い。もちろん、責任関係における確定を必要とすると解しても、確定後他の債権者の乗ずる余地はあり、他の債権者による差押を被害者に対し無効とするのでなければ被害者の保護は十分でないわけであるが、少なくとも、右の解釈の方が、確定を要しないと解し、賠償責任額具体化の審理が被害者と無関係な他の債権者と保険会社の間の訴訟手続で行なわれることを正面から認めるよりは、遙かに被害者保護に厚く、被害者の立場を当然顧慮すべき責任保険の本質に合致しているといえるであろう。

(五)  かようにして、保険関係における請求権行使については、責任関係における賠償額確定が必要であるが、その要件としての効果は、請求権発生でも履行期到来でもないと解すべきである。けだし、保険関係の責任が現行約款第二章第一条のような文言を通じて責任関係における責任の存否に依存している以上、保険関係の責任も、抽象的には自動車事故の発生と同時に発生すると見ないわけにはいかないから、右確定をもつて発生要件と解することはできないし、また、これが不確定期限であつて、右確定と同時に履行期が到来すると解することも、必ずしも適切でない。責任関係の判断いかんによつては、加害者が免責され、保険金請求権自体否定されることもありうるのであるし、また、右請求権の履行期を考える場合、現行約款第三章第一五条の条項を無視することはできないからである。むしろ、賠償責任の本質上、保険関係における請求権行使については、責任関係における確定が不文の前提要件として要求されているものと解すべきであり、それで十分なのである。

(六)  したがつて、責任関係における賠償責任額の確定なしに保険金請求がなされる場合、原則としては不適法であり、請求が訴による場合には却下せられるべきものであつて、その意味では債権者代位権の客体となつているか否かにより結論を異にすべきではない。本件保険金請求の訴の却下を求めた被告大東京火災の主張は、右の限度では正当であると考えられる。

(七)  しかしながら、本件においては、被害者たる原告は、責任関係における加害者に対する賠償責任の追求の訴を保険金請求の訴と併合して提起していたのであるから、その点を更に考慮に入れる必要がある。

当裁判所は、このように責任関係の訴訟と保険関係の訴訟とが併合されている場合には、右の「賠償責任額の確定」の要件は、一歩緩和されて然るべきであると考える。けだし、この場合、示談もなく、確定判決もないのであるから先の理路に従えば保険金請求権行使の要件はまだ備わつていないのであるが、両請求が併合訴訟として審理判決される限り、先に責任関係と保険関係とで別々に責任額の具体化が行なわれる場合必然的に生じると論じた・二重の手間による無駄と判断が区々になることからする混乱の可能性とはいずれもそのおそれがないからである。併合審理により判決がなされた後の控訴申立も、先に見た賠償責任保険の本質ないし責任関係の判断の保険関係の判断に対する基準性から見て、責任関係が先に確定し保険関係のみが控訴審に係属することは差支えないが(しかし、この場合、保険者は、責任関係における確定判決の基準性に拘束されると解されるから、その余のことを争いうるのみである)、逆に保険関係が先に確定して責任関係のみ控訴審に移ることは許されず、後者の場合には責任関係での控訴に伴い保険関係の判断も控訴審に係属するに至ると解すべきであろう。

(八)  かようにして、責任関係の訴訟と併合されることにより、保険関係の訴訟が例外的に適法となると解されるが、この見解に基づき、被告大東京火災の主張について検討する。

1  同被告は、まず、本件の両訴訟が主観的択一的併合の関係にあり、一方は不適法であると主張する。しかし、この点は、前記の説明から明らかなように、責任関係における請求の趣旨と保険関係における請求の趣旨とが二律背反の関係なく、逆に前者における判断が後者における判断の基準となる関係に立つているのである以上、失当といわなければならない。

2  次に、同被告は、原告の同被告に対する訴が将来の給付の訴に属し、民訴法第二二六条の必要性を欠き不適法である旨主張する。しかし、前記のように、責任関係における確定は保険関係の請求権の履行期とみるべきものではないし、権利行使の要件としては右のように併合による例外を認める次第なのであるから、責任関係の判断がないことを以つて右訴の要件たる必要性を欠くとする主張自体失当であるのみならず、本件のような併合訴訟ではそもそも履行期の点で将来の給付の訴が成立しないと考えられる。

けだし、被保険者が保険会社に対して有する保険金請求権の履行期は、保険関係より責任関係が先に確定する通常の場合は、示談の成立ないし判決の確定した後現行約款第三条第一五条の要件を充足したとき初めて到来するものと解すべきであるが、右約款の条項は、保険会社が責任関係における損害額具体化の手続過程に関与しない通常の事態を念頭に置いて、保険会社に対し、具体化した損害額の内容を検討し、保険金支払を準備するための猶予期間を与えるため設けられたものと解すべきであるから、保険会社が当事者として登場し責任関係の手続にも関与しうる併合訴訟の場合においては、右条項の存在を考慮に入れる必要はなく、例外的に、裁判所による責任関係の判断が示されると同時に、すなわち判決言渡の日に、保険関係における履行期が到来し、その翌日から保険会社は履行遅滞の責を負うものと解するのが相当であり、前示のように判決による保険関係の判断が責任関係の判断より先に確定することはないと解すべきである以上、保険関係の請求が将来給付の訴として成立する余地はないこととなるのである。

3  また、同被告は、右訴が民法第四二三条の要件を欠くと主張する。しかしながら、通常の債権者代位訴訟において、代位権の基礎による債権とその客体たる債権とが全く無関係であるのと異なり、本件のような場合には、被害者の加害者に対する損害賠償請求権と加害者の保険者に対する保険金請求権とは密接不可分の関係にあり、保険者の支払う保険金は、被害者に対する損害の賠償にあてられるべきもので、被害者は、いわば自己の特定債権を保全するためにその担保ともいうべき加害者の特定債権を代位行使するのであるから、加害者の責任財産の多少を問題にする必要はないと解すべきであるし、責任関係が未確定の間は保険金請求をなしえないと解する以上、債権者代位権の客体たる債権が既に適法に行使されているため代位しえなくなるという事態も起りえないから、民法第四二三条の要件の不存在を前提として両訴の併合の可否を論ずることは失当である。

(九)  以上のとおりであつて、原告の同被告に対する本件訴は適法である。

二(事故の発生)

請求原因第一項は各当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、事故発生の状況について次のような事実が認められる。

本件道路は、歩車道の区別があり、中央に都電の軌道敷がある。車道部分の幅員一四メートル以上のアスファルト舗装道路で、事故現場附近で幅員六メートルの道路と直角に交差している。この交差点には信号機は設けられていないが、事故現場の約一〇〇メートル手前に信号機の設けられた交差点があり、ここから事故現場まではほぼ直線をなしている。

甲車は、右交差点において先頭車として信号待ちした後、時速約四〇キロメートルで本件道路を直進し、事故現場の約一〇メートル手前で左折の合図をした。そして、左折を開始するにあたり、車道の左端との間に約1.5メートルの間隔をおいたあたりでやや左向きに一時停止し、直進する自転車一台をやりすごした後、時速二〜三キロメートルで左折を開始した。乙車は、右交差点の手前五、六メートル地点で先行の二輪車に続いて一時停止した後、甲車の左後方を直進中であつた。ところが、甲車が停止後数十センチ左折進行したあたりで、突然甲車の左バックミラーと乙車の右ハンドルとが接触し、その結果、甲車は、接触と同時に停止したが、乙車は、ふらつきながら進行方向のやや左へ約一〇メートル滑走し、歩道の縁石に衝突して転倒した。なお、甲車の助手席には訴外武藤の同僚佐藤忠雄が同乗していた。

以上のとおりであり、<証拠>中、左折の合図をした地点に関する部分は、右甲第二号証に照して採用せず、また、証拠中、甲車と併進中のところ甲車が急に左折を開始した旨の原告供述部分も、原告本人尋問の結果に照して接用しない。

三(責任原因)

被告福島発条が甲車を業務用に使用し、自己のために運行の用に供していたこと、被告大東京火災が被告福島発条との間で原告主張の保険契約を締結したことは各当事者間に争いがない。

四(免責)

右認定事実によると、訴外武藤には、後方の安全を確認しないで左折を開始した過失のあつたことが認められるから、被告らの免責の主張は、その他の点を判断するまでもなく失当である。

なお、被告らは、訴外武藤がバックミラーを見たとき、これに後続車が映らなかつたのであるから、同訴外人には過失がない旨主張するけれども、同訴外人は、同乗者の協力により後方を確認することもできたであるから、バックミラーを見たというだけで右過失の存在を否定することはできない。

以上の事実によると、被告福島発条は、自賠法第三条により、本件事故により生じた原告の損害を賠償する責任があり、被告大東京火災は、保険契約上、被告福島発条に対し、同被告が右損害賠償責任を負うことによつて受ける損害を填補する責任があるところ、同被告の債権者たる原告が民法第四二三条により右保険金額請求権を代位行使するというのであるから、原告に対し保険金額の範囲内で右損害額相当の保険金を支払う義務がある。

五(過失相殺)

訴外武藤に後方不注視の過失のあつたことは右のとおりであるが、右認定にかかる事故発生状況においては、原告にも前方不注視の過失があつたことが認められる。

乙車は甲車より後方にあつたのであるから、一時停止して甲車を先に左折させるべきであつたのであり、原告の右過失の程度はかなり大きいというべきである。しかしながら、訴外武藤には、さらに、左折の合図が遅すぎた(道交法施行令第二一条)ことや、前記のように助手席に同乗者がいたのであるから、その協力を得て後方の安全確認も容易にできる状況にありながらこれを怠り、また、一時停止したときの甲車の状態が一見して左折態勢にあることが明らかであつたとはいえない面があるなど、過失割合の認定上無視できない事情があるから、これらのことを考慮すると、原告と訴外武藤との過失割合は、原告四、同訴外人六と認めるのが相当である。

六(損害)

<証拠>によれば、原告は、本件事故により頭部挫創(脳震盪症)、右手切断創、両足挫創、左肩甲骨骨折の傷害を受け、事故発生の日である昭和四二年五月一七日から同年六月二四日までの三九日間田島病院に入院し、退院後同年八月一六日までの間に一四回同病院に通院し、同日治癒したことが認められる。そして、原告に右手首切断の後遺症が残つたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によると、原告は、手関節の喪失を免れたものと認められるから、右後遺症は、自賠責任施行令別表六級七号に該当する。

(一)  治療関係費  三二万円

<証拠>によれば、原告は、治療関係費として、入院期間中の附添看護料五万五八五〇円、義手代一万五〇〇〇円、脳波検査料六〇〇〇円および通院費四八二〇円を含む合計三二万円を超える損害を受けたことが認められる。

(二)  休業損害   二二万円

<証拠>によれば、原告は、事故当時訴外会社に勤務し、年二回のボーナスを除いて一カ月五万七〇〇〇円の給与を支給されていたところ、右治療に伴い、同年八月三一日まで三カ月余り休業を余儀なくされ、その間同年八月に支給されるはずであつたボーナスを含めて少なくとも二二万円の休業損害を受けたことが認められる。

(三)  逸失利益  六九一万円

<証拠>によれば、訴外会社は、乳製品等の卸売りを業とする会社で、原告は、事故当時商品の入出庫における荷扱い、配達、外交および帳簿の整理等の仕事に従事していたが、右後遺症により、担当できる仕事の範囲が制限され、能率も落ちたため、同年九月から給与を一カ月二万五〇〇〇円に減額され、この結果、ボーナスを含めて、事故当時七九万八〇〇〇円あつた年収が三五万円に減少し、その差額四四万八〇〇〇円の得べかりし年収を喪失していることが認められる。なるほど、<証拠>によれば、訴外会社は、原告の父宮田丑松が設立し、現にその代表者である・資本金五〇万円の個人会社であり、従業員約一五名のうち約半数は丑松の家族で占められ、原告は、丑松の長男であるところから、将来丑松のあとをついで、その経営にあたることが予定されており、また、右減収になつた分は丑松から補助を受け、事故の前後を通じて原告一家(妻および子供二人)の生活程度は事実上変りがないことが認められるけれども、だからといつて、原告に後遺症による逸失利益がないとみることは到底できないし、また、<証拠>によれば、原告は、昭和二年七月一八日生れの男子であるから、将来会社員として一生を送るにしろ、企業の経営に従事するにしろ、右後遺症の程度からいつて、年に少なくとも四四万八〇〇円程度の得べかりし利益を喪失することになるであろうことは推測に難くないところであるから、前記の差額をもつて後遺症による年間の逸失利益と認めるのが相当である。そして、原告は、昭和六四年一二月三一日までは稼働しうるものと考えられるので、以上の事実を基礎に本件逸失利益を算定すると、昭和四二年九月から昭和四三年一二月までの分は五九万七〇〇〇円(千円未満切捨)であり、昭和四四年から昭和六四年までの分は、複式ホフマン計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、六三一万八〇〇〇円(千円未満切捨)であり、合計六九一万円(万円未満切捨)となる。

以上(一)ないし(三)の合計は七四五万円であるところ、これを前記の割合に応じて過失相殺すると、四四七万円になる。

(四)  慰藉料   一〇〇万円

原告の本件傷害による精神的損害を慰藉すべき額は、前記の諸事情に鑑み一〇〇万円が相当である。

(五)  損害の填補一四六万円

原告が強制保険金一四六万円を受領したことは当事者間に争いがないから、以上の損害額五四七万円からこれを控除すべきである。

(六)  弁護士費用  四〇万円

<証拠>によれば、原告は、昭和四三年九月五日、弁護士たる原告訴訟代理人に本件訴訟の提起および追行を委任し、手数料および報酬として第一審判決言渡日に認容額が一〇〇万円を超え五〇〇万円以下である場合は認容額の一割六分を支払う旨約したことが認められるが諸般の事情に鑑み、本件事故と相当因果関係ある損害として被告らに賠償を請求しうる弁護士費用の額は、四〇万円とするのを相当と認める。

七(結論)

以上の理由により、原告に対し、被告福島発条は、四四一万円およびうち弁護士費用を控除した四〇一万円に対する事故発生の日以後の日である昭和四四年一月一日以降支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、被告大東京火災は、四四一万円と四〇一万円に対する右同日から本判決言渡の日である昭和四五年一月二一日までの民法所定の年五分の割合による遅延損害金二一万円(万円未満切捨)との合計四六二万円およびうち四〇一万円に対する翌二二日以降支払済みに至るまで商法所定の年六分の割合による遅延損害金中原告の請求する年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

よつて、原告の本訴請求は、右の範囲内で正当として認容し、その余の部分は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条・第九二条・第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用し、ただし、先に一(七)で述べた・併合審理後の判決に対し被告らの一方のみが控訴した場合の移審の効果についての当裁判所の見解は、責任保険関係の訴訟につき確立した学説も先例とすべき判例も見当らない現段階においては、あるいは上級審の容れるところとならぬこともありうるし、そのような場合、被告大東京火災に対してなされる仮執行が同被告に損害を及ぼすことも顧慮すべきであると考えられるので、同被告に対する仮執行については、原告に担保供与を命じることとする。

よつて主文のとおり判決する。

(倉田卓次 並木茂 小長光馨一)

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